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「私のヒストリー」第3回

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先日、私の育った田舎を訪れました。

野山を駆け巡った思い出をひもときながらの旅でしたが、懐かしさとちょっとした寂しさを感じるものとなりました。
当たり前のことなのでしょうが、すっかり風景が変わっていました。赤いほっぺたで駆けずり回った野山はゴルフ場として開発され、面影はありませんでした。

猛烈にゴルフ場が開発されたのがバブルと呼ばれた時代です。
「この間○○のコース買ったよ。今度行こうよ」
一千万円単位の会員権をサラリーマンがローンで買っていた頃です。企業は法人会員と称して億単位が当然のように販売されていました。接待用というやつですね。名門コースとなると予約もなかなか取れない。そんな時代でした。

子供の頃から運動が好きな私にとって、スポーツをする場所が何千万も出さないと権利が貰えない。そのうえ休みの日に行けば何万円も費用がかかる。スポーツなのだからもっと手軽に出来ないものなのか、と思ったりもしていました。
ところが今や企業は、キャッシュ・フローを高める為に、自身が持っている会員権を売り払っているとも聞いたりします。時の移り変わりにより価値観は大きく変わっていくものです。

故郷に帰った後、ネットで日本のゴルフ場の数を調べてみました。
そのサイトのデータによると、世界で一番コースがあるのは米国で、約16000箇所。日本は何と世界二位で、約2400箇所とありました。
こんな狭い国土でゴルフ場の数が世界第二位なんて......

子供の頃の故郷の秋は、キノコ狩りの絶好の場所でした。
松茸や初茸が沢山採れ、松の木の大木が山奥のどこまでも生い茂り、キノコ採りにはまさに最適の場所でした。
今やゴルフ場の開発に、松くい虫にやられ大きな松の木はほとんど無くなりました。潅木が茂り、杉の木が植えられています。
地元の知り合いの人たちに尋ねると、
「松茸やキノコなんてもう殆ど取れないよ」
環境問題なんて当時は多くの人が気にもせず、開発ばかりに目が向いていました。
面影がすっかりと変わっていた故郷。

自分の思い出だけが変わって欲しくないというのは、ゴルフをする人間としては、わがままなのでしょうね。

「私のヒストリー」第2回

 

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12月に入り、寒さも少しずつ増してきました。

インフルエンザ対策で街にはマスク姿の方がたくさん見受けられますが、皆さんは風邪などひいていませんか?

さて冬が近づく度に、街中ですれ違う子供達を見て思うことがあります。栄養が十二分なのでしょうか、いわゆる「シモヤケ」になっている子供達を見かけることが少なくなりました。

私が疎開していた村の子供達はもう「シモヤケ」のオンパレードでした。

冬は雪花が毎日のように舞い、ひと冬の間に何度かは10センチくらい雪の積もる日がありました。それでも子供達は元気に外で遊びます。みんなほっぺたを真っ赤にして、青鼻を垂らして「シモヤケ」だらけの手で野山を飛び回っていました。

当時の「シモヤケ」の治療法は、青い松葉を金盥(きんだらい)に入れ、火傷しない程度のお湯をたっぷりと注ぎ、手足を浸したものです。とても気持ち良かったのを覚えています。

最近は体温を逃がさない下着、高機能の防寒着や厚手の靴下に身を包み、本当に便利になったと思います。

子供の頃は、遊ぶだけではなく、ずいぶんと農作業の手伝いもしたのを覚えています。疎開先では二毛作が一般的で、秋に米を収穫した後は麦を植えており、春先のまだ寒い時によく麦踏の手伝いをしたのを覚えています。

この麦踏は好きな手伝いの一つでした。というのも収穫の後は、麦をひいて作った小麦粉を練って饂飩(うどん)を作ってくれるからです。麦踏の手伝いをすれば饂飩が食べられる!我を忘れて一生懸命に手伝いをしたのを覚えています。

田舎暮らしですので、極端な食料難は経験しませんでしたが、おやつといえば蒸かして塩を振ったさつま芋。それにふくらし粉を入れて作る蒸しパン程度です。だから饂飩などは嬉しい食べ物でした。

季節の変わり目にいろいろな経験をして成長をしていく。自然の移り変わりがいろいろなことを体験させてくれました。そういったことを、カラダを通して学ぶことの出来ない今の子ども達に比べれば、幸せな時代だったと思います。

暖房が充分に効いた部屋でテレビゲームに興じ、暖かい防寒着で塾や学校の往復。真っ赤なほっぺで青鼻垂らし、元気に外で飛び回る。そんな光景はもう見られないでしょうね。

 


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「私のヒストリー」第1回

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岡山市で生まれた私は生まれて間もなく、太平洋戦争の影響で高松市のさらに奥深い神山村西鹿庭へ、家族揃って疎開をしました(この「疎開」という言葉は、あと二十年もしたら死語に近い形になるのではないでしょうか?)

疎開した村から、父親の勤める会社香川ハムまでは自転車で二時間という距離。往復4時間をかけて父親は毎日会社に通っていました。また三人兄弟で二番目の私は、小学校へは片道一時間をかけて通うという日々がスタートしたのです。

新聞に入っている分譲マンションの折込チラシ。「銀座までドア・ツー・ドアで一時間」「始発で座れて大手町まで50分」というフレーズを読むと、戦後半世紀以上経ち、交通網が発達し、スピードに加えて利便性を追及する時代になったなとつくづく思います。

当時は、歩いて学校に通う。自転車や一日に数本しかないバスで街に行く。

それ以外に頼るべきものが無かったとはいえ、何事も自分のカラダでしっかり生きていくということを、小さい頃から自然と学ばされました。

今でも思い出に残っているのは、疎開先の家を兄と一緒に「行ってきます!」と大きな声で出発して歩いていると、同じように仲間達がぞろぞろと二人、三人と加わります。どんどんと歩いて行くうちに、やがて小学校に通う子供達の集団が出来上がっていきます。

ワイワイ・ガヤガヤ。

 

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今で言う集団登校のようなものが形成されるのです。

往復二時間。雨の日も寒い日も、そして暑い日も、これが毎日続きます。

学校帰りは山に入ってシャブシャブ(「グミ」をそう呼んでました)を採って食べたり、川に入ってハゼやアカマツを捕まえたりして、学校帰りは毎日自然の中で遊ぶのが当たり前のことでした。

学校の仲間と遊ぶ寄り道時間を考えると、往復に使う通学時間は3時間を優に超えていたかもしれません。

私の住む東京では、私立の幼稚園ではバスの送迎付きがあります。小学生達は寄り道をすることなく、早く家に帰り塾通い。その上保安上から小学生に携帯を持たせ、GPSで子供の位置確認をしているご家庭もあるとか。

異様な犯罪が増えたとはいえ、都会の子は可愛そうだなと思います。山や川で戯れ夏は真っ黒に日焼けし、自然と逞しくなっていく、そんな環境を望むのはもう無理なんでしょうかね。 

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  469maランドをご利用頂いている皆様に嬉しいお知らせです。昨年の3月球団を退職し、それまでオーナー代行を務めていた小嶋武士が、469maランドに執筆をすることになりました。


  「CO2の見える化」は環境対策の基本中の基本であり、こういった取組みがどんどん広がるようにと、サイト活性化の一助になればと執筆を致します。

  子供の頃や学生時代の話。そして社会人時代には球団買収という異次元のプロジェクトに係わり、活躍していました。そのキャリアの中で培った苦労話、ぐっと来る良い話など、題して「私のヒストリー」として皆さんにご提供致します。

  第一回は、10月を予定しています。楽しみにして下さい!

 「北海道にプロ野球を?私のヒストリー」開始にあたり

  戦中・戦後を知っている人達は、発展していく日本の姿の「時の番人」であり、まさに激動の渦中を経験して来た人達であると思います。私は戦中に生まれ、戦後の厳しい中で幼少時代を過ごし、今日の日本の成長を見てきた一人です。

  岡山県で生まれ、疎開で高松市の田舎に移り住み、大学時代から東京で生活し、一般の学生が進むのと同じように就職をしました。そして思いも寄らぬ会社の球団買収。終身雇用という中で、入った会社で定年まで過ごすという形で言えば、門外漢の分野で働くということは、ある部分大変だったけれども自分自身を大きく成長させてくれたと思います。

  今夏、私は札幌ドームのオールスターの観戦に行ってきました。先代大社オーナーの野球殿堂入りの顕彰表式があったからです。

超満員に膨れ上がった札幌ドーム球場。

  北海道の球場に、これだけ多くの人が足を運んでくれる。思えば当時日本ハムファイターズの運営を開始した頃、フランチャイズにしていた後楽園球場は閑古鳥の毎日でした。どうしたらお客さんが来てくれるのか。果たして球団経営は上手くいくのだろうか......。


これから私の拙い経験を下に469maランドで執筆を始めていきます。

  日本の成長は、目覚しいものがあります。使い古された言葉ですが、「経済大国ニツポン」は、戦中・戦後を知る我々にとって本当に凄い経験をさせてくれました。そしてその経済の発展と共に、環境が少しずつ悲鳴を上げています。私の現在住んでいる東京では、ここ何年も虫取りの昆虫網を持った小学生を見かけなくなりました。全国どこでも見かけた夏の風物詩は、山や川のある場所に限られてしまったようです。

  私の執筆が読んで頂いた方に少しの元気を与え、そして環境について考えるきっかけとなり、469maランドのデータ収集のお手伝いに繋がればありがたい限りです。


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「こんにちは!
と大きな声で、皆さん、明るく元気!

「亭主元気で留守がいい」という確かそんなコマーシャルがあったかと記憶していますが、ホント組合員の皆さん元気で明るい人たちばかり。

早速、環境をテーマに話が始まりますが、皆さん身振り手振りで元気良くお話ししてくれています。

 

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                   吉田さんに前濱さん

 

まず日常生活でどんなことを取組んでいるかをお聞きしました。
「ゴミの分別をきちんとします」
に始まり、「生ゴミを出さないように工夫してます」というのがありました。
 

ついつい沢山買ってしまう食材を、残さず食べる分だけ買うという工夫です。これを行うことによりゴミの量が減っていったとのこと。そうですよね、家庭でのこういう取り組みが広がれば、街のゴミ収集車が集めた量も格段に減り、焼却炉の負荷も減ることになります。

「抜けるコンセントは片っ端から抜いているわよ」
 テレビに始まり、家庭の使ってない電気製品のコンセントを抜きまくる。う?む、なかなかやります。環境省さんが聞いたら泣いて喜ぶこと間違いない。

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                                            平工さん、松浦さん、小川さん

 

「ロード・ヒーティングやめました」
これも凄い。

雪国の北海道には、ロード・ヒーティングという便利なものがあります。これにより、除雪の手間が省け、道路が凍らないのです。降り積もった雪をシャベルでかき集め道路をきれいにするのは、これはひと苦労。しかも毎日のように続く作業です。だから文明の利器でロード・ヒーティングが引っ張りダコになったのです。でもその代わり、電気代は高く当然CO2は排出されます。こんな話も環境省さんは拍手ものですね。

 「部屋の設定温度は常に一定」
良くある話ですが、でもしっかり取組んでおられます。寒い日は厚手の靴下や重ね着をして生活されているそうです。実は取材をした私も二十年以上も前に札幌に住んでいたことがあります。その当時、冬はストーブをガンガンに焚いて、部屋では半袖のTシャツを着てビールを飲んでいた記憶があります。

その話をしたら、
「そういうことしているからダメなのよ」
と、しっかり叱られました。二十年以上も前のことなので、時効で許して下さい。

 ワイワイ ガヤガヤ 盛り上がった取材ですが、次回はどうしてマイバック運動が定着したかをレポートします。

 

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   コープさっぽろは、7月から469maランドの活動に参加しました。様々な組合員活動を通じて、環境対策にも熱心な北海道全域をカバーする生協です。
 

   このコープさっぽろに469maランドのスタッフが一日取材にお邪魔しました。

    お話ししたのは、理事の松浦さんと前濱さん、くらしの安心推進委員の小川さん、そして環境対策室長の吉田さんに組合員活動部マネージャーの平工さんの計5名の皆さんです。
 

  今回の取材は、コープさっぽろがどんな環境の取組みをしているのか? 469maランドを活用されている皆さんに何かヒントになる環境対策は? をテーマにお邪魔しました。
 

   取材日は7月の上旬で、出発した東京は梅雨時でジメジメ模様の真っ最中。梅雨の無い札幌訪問で思わず足取りは軽くなります。

   千歳から電車に揺られること30分。JR札幌の駅を出ると、そこにはドピーカンの青空。日差しも強く、暑い!って感じですが、ジメジメとした感じが無く暑さも苦になりません。「あ?やっぱり北海道だなぁ」
と思いつつ気持ちの良いあまり、取材先の北12条店まで歩いてしまいました。

   店舗の事務フロアーに上がって見ると、いろいろな手作りポスターが壁一面に貼ってあります。

 

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  これはノーレジ袋運動の啓蒙ポスターです。さすがこういうところにも利用率を数値化してみんなに分かりやすく掲示しています。

 

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   これは北海道のお米について書かれたポスター。コープさんだけあって、「地産地消」を意識しての地元のお米について細かく説明してあります。そう言えば、北海道のご年配の方々に聞いたことがありますが、「昔の北海道の米はあまり美味しく無かったけど、最近は内地の一級品にも負けない」と伺ったことがあります。

 

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   お米ができるまでの過程を説明したポスターに北海道のいきものについて書かれたポスター。しかしいろいろと細やかにやっています。

  事務所フロアーで壁のポスターをパシャパシャとカメラで写していると「こんにちは?」と気持ち良く声をかけられ、皆さんとの取材が始まりました......。


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手前に見える黄色いULV3号機。後ろに見える白いULV2号機。

1号機は本庄キャンパスで眠っています・・・

 

1号機から3号機にわたり、多くの成果を残してくれました。

 

そこで今回・・・

 

ULV製作決定!!


 


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もちろんまだまだULV3号機には活躍してもらいますが。

ひとまずお疲れ様でした。

 

ということで、今後は新ULV4号機)の製作をしていきます。

 

ULVは、カウル(ボディ)の型が老朽化し、

新たに生産ができなくなっていることなど、

多くの課題が残っています。

 

ULV製作でもっとも大きな課題となるのが

・量産化可能な車体

・コストの低価格化

といったところでしょうか。

でも実は、その他にも細かい問題が山積みなんです・・・

 

これからはその課題を一つ一つ解決していき、

3号機より2歩も3歩も先を行く4号機の開発をしていきます!

 

早稲田大学 小野田准教授のワンポイントエコ授業
 
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