会社概要 こころの健康 カラダの健康 食の健康 予防という検診 地域の健康 代表blog

地域の健康の最近のブログ記事

oowada.jpg

「蕪栗沼・ふゆみずたんぼプロジェクト」は、震災復興と地域活性化のために宮城県大崎市が取り組むプロジェクトです。大崎市には日本最大のマガン越冬地である「蕪栗沼」があります。蕪栗沼と周辺水田は、200511月にラムサール条約湿地にも登録されました。冬になるとシベリアから渡ってくるマガンや白鳥などの渡り鳥が10万羽を超え、昼は沼周辺の田んぼで落ち穂をついばんだり、水を張った水田で過ごしています。日没前には四方八方から帰ってきて「ねぐらいり」をします。朝、日の出頃にいっせいに田んぼへと飛び立つ姿は、地響きのような音をともない壮観です。3月ともなると、ふたたびシベリアへの4,000kmの帰路につきます。


120126_no.1.jpgのサムネール画像

朝一斉に数万羽のマガンが飛立つ


 以前は、蕪栗沼の水面が狭く、年々増える渡り鳥が越冬できる環境を保つことや、沼の水質悪化を防止すること、そして渡り鳥が稲の穂を食べてしまう食害が、大きな課題となっていました。そこで、2003年、地域の10軒の農家が、これらの問題を解決するために、渡り鳥との積極的な共生を目指す取組みを始めました。それが、冬期間水田に水を張る「ふゆみずたんぼ」です。冬は田んぼを渡り鳥の休息地として、春から秋にかけては有機栽培でお米づくりを行います。


120126_no.2.jpgのサムネール画像

日中田んぼで過ごす白鳥


 「ふゆみずたんぼ」により冬場に稲わらの分解が進み、今では微生物や生きものがすっかり豊富な土壌になりました。生きものとの共生をめざす農家の思いが育んだ「ふゆみずたんぼ米」の誕生です。ちなみに大崎市はササニシキやひとめぼれ発祥の地でもあります。一粒一粒に大自然の命が宿る、自然にも身体にもやさしいお米ができるようになりました。


120126_no.3.jpgのサムネール画像

黄金の稲穂。上空にマガンの群れ


 地域の農家、NPO、市民、事業者、自治体が協働し、取組んできた豊かなコミュニティづくり。生地域の人々の営み、自然の美しさ、命の大切さを沢山の方に知っていただきたい、ふゆみずたんぼを広めたいという思いで、「蕪栗沼・ふゆみずたんぼプロジェクト」(2011年度、総務省「緑の分権改革調査事業」)が始まりました。


 プロジェクトでは絵本や映像の制作をはじめ、仙台で開かれているマルシェやツアーを開催してふゆみずたんぼや渡り鳥、そこでできたお米のプロモーション活動に着手しているところです。また、蕪栗沼の陸地化を防ぐために沼に生えている葦(よし)をペレットに加工して、熱源に使おうという試みも行っています。さらに、「ふゆみずたんぼ」が津波被害を受けた水田の塩害抑制に効果があることから、南三陸や石巻などの周辺自治体の被災水田のふゆみずたんぼによる復興にも取り組んでいます。


120126_no.4.jpgのサムネール画像

上空から見た蕪栗沼


 ふゆみずたんぼによる有機農業、10万羽を超える渡り鳥との共生、美しい自然など、命を育み、大切にする温かい気持ちが地域の人たちから伝わってきます。ここでも、地域の市民、農家、NPO、事業者、自治体が協働し、豊かなコミュニティが育まれています。

oowada.jpg

震災から9か月、当初は毎月のように、ここ数カ月は毎週のように東北に通っています。行先はいろいろです。宮城県気仙沼市、大崎市、南三陸町、石巻市、亘理町、岩沼市、塩釜市、そして福島県いわき市・・・

被災地の様子を拝見し、被災された方からお話をうかがい、ボランティア活動に参加するなどしました。7月には認定NPO法人女子教育奨励会(JKSK)が主催する「結結(ゆいゆい)プロジェクト 東北と首都圏の女性交流会 第1回車座 in亘理町」に実行委員の一人として参加しました。

「結結プロジェクト」は、JKSKが東日本大震災を機に、東北で復興活動に取り組む女性たちの課題や取り組みに関し、首都圏の女性たちが共に考え、支援・協力・応援をしていくために立ち上げたものです。東北で活動する女性と、首都圏で社会の課題を解決することを仕事としている女性たちとの車座(交流会)を定期的に開催していきます。回を重ね、参加者を増やすことによって、新しい価値観で新しいコミュニティを創造する女性ネットワークを100人以上に拡げていこうという考えです。もちろん、女性だけではありません。志を同じくする男性にも参加いただいています。

亘理町で開かれた1回目は、ボランディアセンターや津波被害の現場訪問の後、蔵王のホテルに場所を移し活動報告会、そして翌日午前中3時間をかけて、東北の女性たちが抱える課題の解決策を皆で話し合うワークショップを行いました。参加者は東北・首都圏合わせて42人、男性も5人ほど。

 

111226_no1.JPG

東北と首都圏の女性たちが熱心に語り合う

 

その場で出されたアイディアのいくつかは実際にプロジェクトや調査が始まりました。また、「次の車座の開催をぜひいわきで!」という福島県いわき市からの参加者の要望を受け、12/2から3日、第2回車座がいわき市で開催されました。今回は見学や意見交換に加え「未来のエネルギーを考えるシンポジウム」も開催しました。

 

移住先としても人気だったいわき

福島県いわき市は人口約33万人。東北地方で最大の工業都市です。また、フラガールで有名なスパハワイアンズや温泉、水族館など多彩な観光資源があり、観光客数は県内第1位の年間約1,102万人でした。また、東北地方では年間日照時間が最も長い地域でもあります。

震災前のいわきは、首都圏から高速道路で2時間半と比較的近く、海があり温暖な気候ということもあり人気の移住先でした。それが、震災により津波、地震、原発事故の甚大な被害を受け、海では海水浴も漁もできなくなってしまいました。農地は耕作されない場所が増え、農産物は放射線が検出されずとも売れません。また、湯本温泉や海水浴場などもありますが、観光客の姿もほとんどありません。

 

111226_no2.jpg

久ノ浜地区。解体される家屋に咲く花

 

今回の参加者は60人ほど。地域の課題解決を検討するワークショップは8つのテーマで話し合いました。いわきを再生可能エネルギーの拠点にしよう、畑に綿や菜種を植えよう、若い人考える復興計画をつくろうなど、様々なアイディアが出されました。

実際、いわきは使用されている電力使用量の約3倍の再生可能エネルギーのポテンシャルを有する町です。長い日照時間を活かした太陽光、風力、温泉熱、小水力・・・多くの可能性があります。

 

111226_no3.jpg

各地から専門家・実践者が集まったシンポジウム

 

2012年、これからが復興活動の本番です。特に原発事故の被害を受けた地域の震災復興にはこれから長い年月がかかるでしょう。いわきの海で特産だった「メヒカリ」という魚を食べることができる日もまた来るにちがいありません。私はいわきで出会った皆さんと一緒に、再生可能エネルギーを中心とした地域コミュニティづくりに来年は取組みたいと考えています。

 

※認定NPO法人JKSK http://jksk.jp/j/index.html

oowada.jpg

「リトルプレス」をご存知ですか?個人や仲間とつくる小冊子のことで、大手の流通を通さずに販売する出版物です。全国各地でリトルプレスが出版されています。金沢の『そらあるき』、倉敷の『暮らしき』など、それぞれ地域の魅力を丹念に暮らし目線で取材し制作されています。各地のリトルプレスを集めている書店もあります。


111128_no1.JPG

各地で発行されている

 

『弁当と傘』というリトルプレスが兵庫県豊岡市でも10月下旬に発行されました。一瞬このタイトルを見て、どういう意味?と思ったのですが、ああそうか「弁当忘れても、傘忘れるな」は、子供が学校に行くときに、おばあさんが毎日そう言うほど、豊岡や但馬(たじま)地域は雨が多いという話を聞いたことを思い出しました。

 

表紙は豊岡市城南町にある昔ながらの商店に3歳の女の子が傘を持って立っている写真です。懐かしい温かい気持ちになる表紙です。もくじページには菜の花が満開の円山川の美しい写真が載っています。


111128_no2.jpg

『弁当と傘』

 

創刊号ということもあり、特集は「人をとりこにする鳥 コウノトリ」。出石の皿そばや、但馬唯一の映画館である「豊岡劇場」、なつかしいおやつなど紹介されています。行ってみたい、食べてみたいものがいくつもありました。今日の弁当というページには中貝市長の愛妻弁当も。ご飯はもちろんコウノトリ育む農法で育てられたお米だそうです。

 

『弁当と傘』を制作したのは豊岡や但馬が大好きなデザイナー、ライター、企画などの仕事をしている30代の女性4人です。そのお一人である山根和恵さんにお会いしてきました。山根さんは「蜩珈琲(ヒグラシコーヒー)」戸牧(とべら)店の店長さんです。


111128_no3.JPG

蜩珈琲店長の山根さん

 

蜩珈琲が豊岡にオープンしたのは82年前の1930年のこと。山根さんは創業者のお孫さん大阪の大学を卒業して豊岡に戻り、蜩珈琲本店で5年務めた後、戸牧店の店長になりました。本店時代は商店街の販促委員会に所属し、色々なイベントや企画を提案し実施してきました。そして2年前、『弁当と傘』の発行人でありこの本の企画を温めていたグラフィックデザイナーのスワミカコさんと出会いました。今年3月末からメンバーはそれぞれ仕事の合間をぬって取材や編集にあたり、半年余りをかけて完成しました。

 

「町がどんどん新しいものに切り替わっていく。古い店など良いものが無くなってしまうので、残していきたいものを紹介していこうと。」と山根さん。

よそに行っていたからこそ、改めて気がついた故郷但馬の魅力。建物は一般的には経年劣化していくと言われますが、住まい手や地域の人たちが大切にしていくことで、建物も町も経年優化させることができると思います。

 

111128_no4.JPG

豊岡市のアンテナショップ。今年9月オープン

 

32ページ、フルカラーで600円。蜩珈琲店で買うことができます。すでに鳥取、福知山、大阪、京都、そして東京の有楽町交通会館1Fにある豊岡市のアンテナショップ「コウノトリの恵み 豊岡」でも販売されているということです。

あなたの街にもリトルプレスありますか?

oowada.jpgのサムネール画像

紅葉が見頃の季節になってきました。そして、新米や栗、キノコなど秋の美味でついつい食べ過ぎが大敵ですね。私は10月上旬には岐阜県飛騨市で開かれた「全国町並みゼミ」に参加し、各地で地域づくりをされている皆様と、地元の美酒・美味を楽しみながら交流してきました。

今年34回を迎えた同ゼミは、全国各地で町並みの保存に取り組む人たちが一堂に会するもので、500人近い参加者がありました。

 

 

111031_no1.JPG

白壁土蔵街を流れる瀬戸川

 

飛騨市は岐阜県北部に位置し、2004年に旧古川町、旧神岡町、旧河合村、旧宮川村が合併した、人口27000人余りの町です。古川は江戸時代に増島城の城下町としてつくられ、今でも商人町が残っています。奈良・平安時代から大工として都に仕事に行った歴史から、飛騨の匠の技として代々受け継がれてきました。40年ほど前から町並み保存や市内を流れる瀬戸川の浄化運動に取り組み、今でも匠の技が息づく昔ながらの町屋や寺社が、豊かで落ち着いた町並みをつくっています。2軒の造り酒屋や土蔵、「飛騨の匠文化館」など町の歴史が暮らしの営みと共に息づいています。

 

 

111031_no2.JPG

それぞれの家屋に花が飾られて

 

◆棚田と板倉の里

市内から車で30分の宮川町には「種蔵」という小さな農村集落があります。ここには石積みの棚田と地区内に点在する板倉が美しい農村景観をつくりだしています。板倉というのは木造の倉庫で米や味噌、種を保管する場所です。高齢化により棚田の多くが畑に変わっていますが、ミョウガとエゴマの産地になっています。ミョウガの花を見たことはありましたが、群生しているところを見るのは初めてでした。実が大きく、多くが京都の漬物になっているそうです。地元の特産品としてブランド化すれば良いのに、もったいないですね。

 

111031_no3.JPG

美しい農村景観


111031_no4.jpg

群生するミョウガの花

 

その集落にある施設「板倉の宿 種蔵」が秀逸でした。これは平成21年に体験宿泊施設としてオープンしたものです。古民家を移築し、囲炉裏や漆喰の落ち着いた部屋、お風呂の浴槽は檜でした。食事はもちろん地域の食材を使った郷土料理をいただくことができます。朝食には山菜の煮物や、鮎の一夜干しが付きますが、幸せな一日の始まりでした。

 

111031_no5.JPGのサムネール画像

「板倉の宿 種蔵」


111031_no6.JPG

ほう葉味噌でご飯がすすむ

 

今回の「町並みゼミ」では、飛騨市古川の大工さんの匠の技と、住民の高い美意識に支えられた"まちなみ"。そして種蔵の豊かな"むらなみ"に感心しました。これら、町と村の住民が交流することで相互の価値を再発見し、双方の景観が残っていくのではないでしょうか。いずれにしても大阪や東京など都市部の無秩序な景観に比べてなんと質が高く美しいことか、と改めて実感した3日間でした。

 景観・文化・暮らしの技に触れる町歩き、村歩きお勧めです。

oowada.jpg

今年は少し"農力"、"自給力"を上げようと思い、池袋のバー「たまには月でも眺めましょう」の店主、高坂勝(こうさか・まさる)さんご夫妻やお友達の皆さんと一緒にお米づくりをすることにしました。昨年11月に出版された高坂さんの『減速する生き方―ダウンシフターズ―』は話題になりました。その高坂さんは、3年前から千葉県の田んぼでお米づくりをしています。不起耕、冬期湛水、もちろん農薬や化学肥料は使いません。

田んぼの場所は千葉県匝瑳(そうさ)市。東関東自動車道の成田ICを降りて30分ほどのところ、自宅からは車で2時間ほどかかります。

 

◆田植え(5月29日)小雨ときどき曇り

 

しろかきや、苗づくりは高坂さんがしてくださいましたので、田植えから始めました。田んぼは全体で一反(いったん:300坪)位で、うちのエリアは一畝(いっせ:30坪)です。

農水省の資料によれば、日本のお米の消費量は一人当たり年間で60kg程度だそうですので、わが家では1/3を自分でつくり、1/3を埼玉県小川町、残り1/3を宮城県大崎市や兵庫県豊岡市の農家から購入しようという計画です。お店からは買いません。農法や実際の田んぼの様子、農家や地域の取り組みに共感しているところから直接入手するのです。

 

さて、田植えですが長靴をはいて田植えをしようとしたところ、落とし穴のようなところがあり、早々にはまってしまい、長靴が水没。長靴をあきらめて、素足で植えること2時間。コシヒカリの苗を2本ずつ植えました。苗の数が少ない方が強いしっかりした稲が育つと聞いていたからです。放射能も計測しましたが、低い数値でまずは安心。

 

110928_no01.JPG
手で植える


◆草取り 2回目(7月24日)晴れ

 

一回目の草取りは6月19日、田植えから3週間。苗も雑草もかわいい大きさでしたが、2回目の草取りは1カ月以上も空いてしまい、大変なことに!まるでコナギ田のように、稲と競うように元気に育っていました。この日は家族が一緒に行けなかったので、一人で黙々4時間の草取り。スクワットの様な姿勢で連続4時間。もう帰りは歩くのもやっとで、この後一週間、強烈な筋肉痛で歩くのも困難でした。

田んぼへは毎回何人かで行きました。木陰で食べるお弁当、農作業の合間のビールは格別です。

 

田んぼの帰りは近くの日帰り温泉「かりんの湯」に寄って疲れを取ります。露天風呂やスチームサウナもあります。何といっても入浴後のスイカの甘くて冷たくて美味しかったこと。


110928_no02.JPG

稲と競って雑草が育っている

 

◆稲刈り 9月18日(日)

 

いよいよ稲刈りです。田植えから4か月あまり。手で刈ってはさ掛けにします。助っ人も含め10数人で刈りました。あいにく、わが家のエリアは水が抜けず、長靴を履いての稲刈りです。泥に足を取られ、なかなかはかどりませんでしたが、なんとか午前中に刈り終え、午後はくくってはさ掛けをして終了!!

      

110928_no03.JPG


110928_no04.JPG

達成感ひとしお

 

ところが、その3日後、例の台風15号が襲来。暴風雨の中、自宅で案じるのははさ掛けした稲のことばかり。落ちてやしないだろうか。水をかぶってはいないだろうか。とオロオロして。

翌日、高坂さんからのメールでやっぱりはさ掛けは全て倒れたと連絡があり、今週末、再び復旧に匝瑳に行ったのでした。

 

あと1週間干して脱穀、モミすりで玄米になります。農家の気持ちが少しわかった半年でした。

 

それにしても「フードアクションニッポン」など国を挙げてキャンペーンをしているにもかかわらず、日本の食料自給率は1%下がって39%になってしまいましたね。が、まずは自分から。"自給力向上"。そして食料の備蓄を実践しませんか。目下、わが家では1年分の米、半年分位のジャガイモ、ニンニク、水を備蓄しています。

 

110928_no5.jpg

田んぼには生きものが沢山

oowada.jpg

 まだまだ蒸し暑い日が続きますね。こういうときは、やっぱり冷奴。どんな豆腐を食べていますか?私は、埼玉県ときがわ町にある「とうふ工房わたなべ」の「霜里豆腐」や豆乳が大好きです。

 

地元産の大豆にこだわる

「この「霜里豆腐」は、隣の小川町で、昔からつくられていた「青山在来」という大豆を使っているんです。40年間有機農業をやってきた金子美(よし)(のり)さんらが集落の皆さんと栽培しているもので、糖度が高いから、こくのある豆腐ができるんですよ。今ではうちの人気商品の一つです」と、「とうふ工房わたなべ」の渡辺一美(かずみ)社長。


110826_no1.jpg

 人気の「霜里豆腐」

 

お父さんの代から豆腐をつくり始め、当初は小さな豆腐屋さんでしたが、今では3か所の駐車場を持つ大きなお店になりました。近くに駅があるわけでも、大都市にあるわけでもないのに、平日でも400人、週末ともなれば800人、年間20万人が周辺地域から車で来店します。単独店舗としては日本一の売上を誇るほどです。

 

110826_no2.jpg

全国有数の売上を誇る豆腐店

 

 一体、この豆腐店、どうしてこんなに人気が出たのでしょうか?

 その秘密は、地元産の大豆や、国産の菜種油を使った美味しい豆腐だからです。

渡辺さんが国産大豆を使うようになったのは90年代後半の頃、当時はアメリカから輸入した大豆を使っていましたが、遺伝子組み換え大豆が問題になり、お客さんから「国産大豆でお豆腐つくってほしい」と言われ、それまでの価格を追求し、安いアメリカ産大豆を原料にした、スーパーに卸す豆腐づくりから、国産の大豆を使った、お店で直接お客さんに販売するスタイルに切り替えたのです。価格は倍以上になりましたが、当時国産大豆を使った豆腐は珍しく、人気を呼びました。

 

110826_no3.jpg

敷地内の井戸からくみ上げた地下水を使用

 

素性のわかる豆腐

そして、地元の勉強会で出会った金子さんの、農薬も化学肥料も使わない農法に感銘を受け、国産からさらに地元産の、生産者である農家の顔が見える大豆を使うようになったのです。

「埼玉産の大豆というのは、特に特産品でもないけれど、やっぱり地元の農業を大切にしたいから、地元産の大豆を使うことにしたんです」。今では小川町、鳩山町産など年間60トン以上、周辺で栽培されている大豆を使っています。

渡辺社長の信条は、「大豆を作る人、豆腐を作る人、配達する人、買う人、食べる人が顔見知りになり、この人のために、と思う気持ちを大切にすること」という"素性のわかる豆腐"は、味と鮮度、豊富な品揃えも相まって大人気なのです。


110826_no4.jpg

 大豆「青山在来」を使った豆腐が人気

 

とうふ工房わたなべ

355-0354 埼玉県比企郡ときがわ町大字番匠372 

Tel 0493-65-0070 / Fax 0493-65-0090

http://www.11-12.co.jp/index.htm

第34回根のある暮らし 森へ行こう

oowada.jpg

 今年は国際森林年ですね。日本の国土の67%は森林。森は水や土が育まれるところ。豊かな森は、豊かな川、田畑、そして漁場へとつながっています。私たち日本人は、森によって生かされ、癒されてきました。そんな森の恵みを活かして仕事をしてきたお一人がオークヴィレッジ代表の稲本正さんです。

 

100年使えるモノを

「オークヴィレッジ」の稲本正さんが東京を離れ飛騨高山に移住し、家具工房を開設したのは1974年のこと。72年に『成長の限界』という本に出会い、「21世紀は環境の時代になる」と確信し、長く使える家具を作ろう、自分達で木を植えていこう、と思いたったからだそうです。周辺8haの荒地を得て広葉樹の育林を含め、工芸村を立ち上げることから始めました。高山を拠点に、「100年かかって育った木は、100年使えるモノに」を理念に、再生可能な資源である樹木を使って、お椀から家具、木造住宅まで、伝統的な技術でモノづくりをすることで、縄文時代からあった日本の木の文化の再生に取り組んできました。


110727_no.1.jpg

オークヴィレッジ全景

 

 そして、2009年から販売を始めたのが、日本産アロマ「yuica」(ゆいか)です。アロマと聞くと、ラベンダーやミントなどをイメージしますし、多くのエッセンシャルオイルは輸入されています。が、日本の樹木からもエッセンシャルオイルを抽出することができるのです。「スギ」「ヒノキ」の香りを始め、珍しいところでは楊枝に使われる「クロモジ」があります。その香りはシャネルの香水にも使われているローズウッドに似た大変優美な良い香りです。

 

◆森も地域の人も元気に

「これは"枝葉ビジネス"。地域のお年寄の収入にもなっているんです。」と稲本さん。

エッセンシャルオイルを抽出する木の枝や葉を、地域の山を知り尽くしたお年寄りが山から取って来て、それによって収入を得るコミュニティビジネスでもあるのです。「yuica」という森の恵みで私たちの心身が癒され、森の手入れにもつながり、地域の人々や森の健康が回復されるのではないでしょうか。


110727_no.2&3.jpgのサムネール画像のサムネール画像

クロモジの枝葉とアロマオイル

 

 また、震災後にオークヴィレッジでは間伐材を使った復興住宅の提案や、避難所で「yuica」を使ったアロママッサージ、子供たちに積木を贈る活動など積極的に取り組んでこられました。無垢の木材は温かさが違います。積木は樹種の異なる木材から作られていて、色や木目が異なります。


110727_no.4.jpg

間伐材による復興住宅


110727_no.5.JPGのサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像

色々な種類の木でつくられた玩具

 

戦後に造林した木材は、現在伐期(ばっき)を迎えています。国産材を使うことは、健全な森づくりにつながります。命の源でもある森。

かつて寺山修司という詩人・劇作家が書いた『書を捨てよ、町へ出よう』という本のタイトルではありませんが、今年の夏は「暑を捨てて、森へ行こう」。涼を求めて、森を歩いてみませんか?

 ※ yuica http://www.yuica.com/

 

110727_no.6.jpgのサムネール画像のサムネール画像

oowada.jpgのサムネール画像

 大震災から3か月が経ち、TV等では未だにがれきの山や壊れた堤防の映像が流れていますが、一方で復興に向けた様々な動きも報道されています。皆さんご自身や周囲でも色々と活動が行われているのではないでしょうか。私もいくつかの活動に参加したり、始めたりしています。

 

塩害の農地にトマトを植える

 その一つ。6月4日に津波で塩害被害を受けた農地にトマトの苗を植えてきました。毎年今頃は仙台周辺の田んぼも稲がすくすく伸び青々とした水田が美しい時期です。しかし、今年は排水設備が壊れ、農地が塩害の被害を受けて田植えのできない水田が沢山あります。周辺の松林は茶色く枯れ、防波堤も未だ崩れたままです。


110627_no1.JPG

水が引かない農地


 そんな中でも、なんとか田畑に作物を植えることができないか、と挑戦する人がいます。NPO法人農商工連携サポートセンターとマイファームが共同で企画したツアーで、仙台から少し離れた岩沼市の畑でトマトとネギの苗を植え、有機綿の種をまいてきました。親子連れや東京などから49人が、地元のロータリークラブの方など含め、総勢80人位で植えました。東京からの参加者は「ガレキの撤去など力仕事はできないけど、何かしたかった。」、「復興のお手伝いができることは本当に嬉しい」と参加の気持ちを語っていました。熊本の塩トマトなど甘くて美味しいと有名ですが、トマトは塩分に強い野菜なのです。

 2軒の農家の協力を得て、地元の方達と一緒に畑とビニールハウスに約600本の苗を植えました。農家の方が「田畑はほとんど津波の被害を受けて、今年は何にも植えられません。でも、今日こうしてトマトを植えることができたのは、本当に嬉しいです。何か一つでも実れば、本当に励みになります。」と言われ、心打たれました。収穫は8月。実るよう、祈っています。

 

110627_no2.jpg

トマトの苗を植えた


110627_no3.jpg

参加者集合写真


110627_no4.JPG

1週間後。オーガニックコットンも無事発芽

 

 

森は海の恋人。山に広葉樹を植える

 翌5日は、ツアーではありませんが、家族で気仙沼近くまで足を伸ばしました。気仙沼には牡蠣の養殖で有名な畠山重篤さんがお住まいです。畠山さんの著作『森は海の恋人』はロングセラー。「豊かな森は豊かな海を作る」という森・川・海の連携で生態系を保全する活動として毎年植樹祭が開催されています。

 畠山さんの養殖場も壊滅的な被害を受け、集落は津波に飲まれ、お母様を亡くされました。直ちに続々と全国から募金や救援物資が届きました。植樹祭に参加してきた人や、森・川・海の連携活動を各地で実践してきた仲間達からのものでした。

 

110627_no5.JPG

壊滅的な被害を受けた漁場

 

110627_no6.JPG

牡蠣の養殖家、畠山重篤さん

 

 植樹祭が行われるのは気仙沼に流れ込む大川の上流にある矢越山(岩手県一関市室根町)で、色々な種類の広葉樹が植えられます。今回は23回目の植樹祭。地元の漁師さん、山村の人、地元の小学生や大人、そして都市部の人たち約1200人が苗を植えました。

 いつか参加したいと思っていたこの植樹祭。娘と一緒に、被災された方たちが普通の生活を取り戻せるよう祈りつつ苗を植えてきました。

 

110627_no7.jpg

今年も開かれた植樹祭


 続いて、7月の中旬には私は知人たちと「東北と首都圏の女性の交流会」を開催します。東北各地で被災地の復興のために、コミュニティの場づくりや、仕事づくりの活動をしている女性達に会い、話を聞き、首都圏に住む私達に何ができるか、意見交換しようという趣旨です。また、後日報告させていただきます。

oowada.jpg

タイトルを一見して、抽象的で難しい話のように思われるかもしれませんが、あまりにも私たちは地域について無関心で、あるいは経済が成長するのは当たり前と思って暮らしてきたのではないでしょうか?

今年私が関心を寄せているテーマは"ローカリゼーション"や"コミュニティ"です。そして、国内のかかわりのある地域でそれを実践しようと色々企画を進めているところです。

 

 5月21日にドキュメンタリー映画『幸せの経済学』が封切られました。「国際生物多様性デ―」の22日には、なんと全国113か所で一斉に自主上映会が行われ、各会場とも大盛況でした。

 

110531_no1.jpg
ラダックのまち


 この映画は『懐かしい未来』という本を書かれたへレナ・ノーバーク=ホッジさんが原作を書かれ、監督を務めています。映画の舞台はインド北部の端にある標高3500mを超える「ラダック」という人口5万人ほどの農村地域です。農業を中心に自給自足の互助経済を自然に寄り添う、心豊かな暮らしがありました。ところが、1974年に外国人の立ち入りが解放され、先進国の消費文化やグローバル企業の安い商品が流れ込み、地域は急激に変化していったのです。ラダックがこの40年間でグローバリゼーションの波によってどのように変貌し地域コミュニティが崩壊していったか。そして今、どのようにそれを回復しようとしているのか。ローカリゼーションこそが、これからの持続可能で心と心のつながりのある社会を再生する鍵だと主張します。

 

110531_no2.jpg映画ポスター


110531_no3.jpg

ヘレナ・ノーバーク=ホッジさん

 


※『幸せの経済学』http://www.shiawaseno.net/  

 

 私はこの映画を見てラダックに行ってみたいと思いました。と同時に、この3年間、歩いてきた日本各地の農山村を思い出しました。そこには、地域固有の農林漁業や自然、文化、互助のしくみが残っています。人々は農林漁業やそれを活かした仕事を生業(なりわい)とし、自然に根ざした暮らしをしています。

近年、都市部に住む若い世代でも、こうした暮らしかたを志向するする人が増えています。都会の会社員の様な仕事中心のライフスタイルではなく、また、単なる田舎暮らしでもない、生業(仕事)、暮らし、地域での務め(互助活動)のバランスを取る生き方です。人と人、人と自然、先人とのつながりがそこにはあります。そして都市生活や会社員生活で身に付けたビジネススキルを活かし、農山漁村の地域資源を活かして、地域に仕事や経済が流れ込むしくみをつくり出し、持続可能で新しい豊かさと幸せを創造する暮らし方です。

 

 『幸せの経済学』、東京では渋谷のアップリンクで6月10日まで、また、自主上映会を開催することも可能です。ぜひお友達やお仲間と『幸せの経済学』ご覧になり、自分が住む地域のことや、豊かさ、幸せについて語り合ってみませんか。そして、農産漁村との交流を始めてみませんか。

oowada.jpg

毎日のようにテレビ、新聞、雑誌等で被災地の様子が報道されていますね。私も4月4日には、救援物資を運ぶトラックに同行し、宮城県気仙沼市、名取市を訪問してきました。

110426_1.jpg

東北各地に東京から救援物資を配送


110426_2.jpg

多くの大型船が座礁(気仙沼市)


110426_3.jpg

津波の被害を受けた漁港周辺(気仙沼市)


110426_4.jpg

水田も広範囲に津波の被害(名取市)


震災から1か月が過ぎ、復興に関する取り組みも色々と始まっています。遠くに住む、私たち市民にどのようなことができるか、考えてみました。


 1. 食べて支える

・地震・津波の被害が大きい地域の農産物や加工品を意識して買う・食べる
 ・福島、茨城など風評被害にあっている地域の農産物を安全性を確認し買う・食べる


2. 自分の仕事や活動を通じて支援活動を行う

 ・自分が関わっている各種のグループや仕事を通じて息の長いチャリティや支援活動を行う

  3. エネルギーについて関心を持つ

・エネルギーに関する勉強会やエネルギーシフトを考えるパレードに参加する

・自宅のアンペアダウンや省エネ機器の設置を行うなど節電する

 

これから夏に向け、特に節電(省エネ)リフォームや機器を導入してはいかがでしょうか。昨年わが家もインナーサッシを取り付け、エアコンを買い換えましたが、10%以上電気使用量を減らすことができました。LED照明、エアコンフィルターの掃除・室外機の遮光、屋根・外壁への遮光塗料、インナーサッシの取りつけなど数千円から数十万円でできます。

 

そして、こういうときだからこそ、前回も書いたように、"食とエネルギーを自給する地域づくり"へと舵を切る、有機農業を広め、地域で循環する経済圏、石油に依存しない社会をつくる機会が到来しているのだと確信しています。

http://www.469ma.jp/health/2011/03/30.html

 

私も民間ベースで顔の見える関係を元に雇用創出や事業再生に貢献すること、社会全体を食とエネルギー・福祉の分散・地域内自給圏の確立するような活動に取り組んでいきたいと考えています。まずは5月13日に復興支援とエネルギーシフトを考えるフォーラムを開催することにしました。

http://lohas-ba.org/blog/2011/04/513.html

 

また、今月末には再度気仙沼市に行き『森は海の恋人』著者の畠山重篤さんのお話しをうかがってきます。畠山さんも被災され、牡蠣の養殖筏も流されてしまったそうです。しかし、これまで積み重ねてこられた活動で知り合った全国の方々を中心に支援の輪が広がっています。こうした時こそ、日頃の顔と顔の見える信頼関係が強さを発揮することはありません。